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先生。今日で先生が居なくなってから4年と14日です。

今日はソファーに横になりながら犬を2匹身体に乗せて。こうして、先生、から始まって、先生、で終わる。不毛などうどう巡りを書いています。

外からショッピングを楽しむ女性の声や、若い男の声。

犬は暖かくて、空気は冷たい。

きっとここは私にとって何の役にもたたなかった都会だから。こうやってソファーの角に追いやられている。私はそれらの事柄を無視して、私なりに真っ当な方法で先生のことをおもう。

先生と出会って、いつのまにか山積みになってしまった間違いだらけの時間を、歩いて。極度に正しいことをした時。私は死ぬのだと思う。

電話が鳴る。

ねえ、この前に言ってたマッチングアプリの人とあなた会ったの?あの人、あの黒人の。ポテトヘッドにそっくりな。名前は何で言ったっけ、デミアン

私はできるだけ軽く返す。

デミアンは違う、それは私が持ってる役に立たなかった本の名前。彼の名前はデニス。Dから始まってSで終わる人。まだ会ってないの。それは明日おこる予定。どこかのカフェでお茶をしようって、でも黒人と言っても、日本生まれ日本育ち。

え?日本育ちなの?あの見た目で?黒くてほりが深くて、どう考えても両親は日本人ではないよ、なぜあなたはどこの国の人か聞かないの?すごく気になるんだけど。明日聞いてよ、どこの国か。

わかった聞いておく。

怖くなる。死んだような電話口。頬の感覚を失う。私は訊けるだろうか。なぜ生まれたかなんて疑問をとうの昔に放棄した私に。訊けるだろうか。

あなたはどこで、どう始まって、例えばどこで痛くて、どこが気持ちよくて、なにが正しいと思っていて。なにを悪だと思っていて、何が不満で、何が満足の、あなたは何者なの?

私に訊けるだろうか。私が答えられないことを。沈黙を言い張ってきたことを。

私にはなにもない。先生と共に何もかもをなくしてしまって。

散らばった認知療法の紙と、散らばったあの声と、散らばった記憶を、かき集める。

先生、から始まる発音以外は、見知らぬ異国の言葉だから、その支離滅裂な発音はわたしには覚えられない。

私はまた徘徊する体力を補填する。先生、先生と。繰り返し。ボキャブラリーを片手でドブへ放り投げる。今まで語彙がどれだけの足しになっただろう。そんなことを思う。

詩人ほど巧みでもなければ、学者ほど達者でもない。

私の言葉は先生に届かない。それだけの理由で、私は言葉を破棄できる。

先生に好きだと、今も変わらず好きだと、それすらも伝えられないのだから、言葉に何の価値があるのだろう。

不毛な言葉を、断固として口から出さない言葉を、誰も見ないここに、誰も知らないこのドブへ捨てる。私の悪臭を、何人たりとも漏らさないように。

好きな人などいません。私は道端に甘んずる石ころでございます。平凡で取るに足らない凡人であります。今までの恋愛などありふれた小説の一行のようなものです。

私のことはすっかり話してしまいました。凡人で薄い人生を歩んできたわたしにこれ以上の話題はありません。あなたには全部打ち明けてしまいました。

本は読みません、音楽は流行りの曲を、詩集は国語の教科書に載っている程度で、国語の点数は昔から悪いのです。読解力も語彙力もないものですから。私は人畜無害です。愛も薄い人生ですので、いつだってあなたの色に染まれます。

私はまた会う、私を普通だと認識する人を増やす、私が先生を抱えていることを知らない人を増やして、そうやって、できるだけ長く生きる。

私が先生を好きだと言うことを、誰にも知られずに死ぬことができますよう。