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先生、10月10日でした。つゆほども覚えていらっしゃらないでしょう。私はどうやらあの日から4年、生きたようです。

最近連絡を取り合っている男性がいます。

一重ではなく、私より背が低くて、6年交際相手がいなくて、遠い所に住んでいる先生ではない人です。

わざわざ4時間をかけて、奇しくも会いに来てくれました。その日付は10月10日です。

彼は私のことを聞きません。

だから私は彼に話しました。大野先生以外のことを。淡々と、自分で笑い合いの手を入れて。面白おかしく。

私は口に出すことができないものが沢山あります。口に出してはいけない経験、体験、もしくは被害、または加害。

私は見せました、先生が診断書を書いて、それが1級になった障害者手帳

先生が、最後にくれたものを、最後にくれた答え、先生が私に向けていた目線の回答を。

私はその人に言いました。これを見て、関わり合いたくなければもう連絡をしなくてもよい。

私は正直、どうでもよかった。

どうでも良い気持ちだった。それは今日があの日と同じ日付だったからなのか。

のこのこと、田舎から都会まで私に会いに来た滑稽な男性が。ニコニコしながら何も聞かない姿に嫌気がさした。

私の好きなものを聞かず、私の好きな音楽も聞かず、私の今まで繰り返してきた男漁りの、私の今までの行為が惨めになるくらい、穏やかで、あまりに善良そうで、腹が立ったのかもしれない。

ただ一つ、喋り方が、先生と同じ温度だった。

記憶の中の先生と、同じ温度だった。

だから私はこの人に否定されたいと思った。そう思った。

先生がしてくれなかったことを、私は求めたのかもしれない。

私に罰を与えるには、この温度がいい、この温度で首を縛るなら、どれほど幸せだろう。だから話した。

聞かれてなくても話した。

実は私は頭がおかしかったのです。幻聴や幻覚がありました。特定の記憶がありません。覚えられません。私はずっと保護室で取り止めもなく意味不明なことを延々と喋りました。私は歌っているつもりだった。それは理不尽で、お尻に注射を刺されて眠るのです。呼吸するみたいに、言われるがままに、入退院を繰り返した。

私は厄介な人間です。面倒な人間です。

そうは見えないでしょう。よく言われます。簡単なことです。鈍感になれば良いのです。くるくると笑って、周りと同じ歩幅で歩けばいい。顔を上げる時に疑問を。隣を見る時に軽蔑を。電車で決して本を読まず、平たい板を凝視して。たまに気づかれないような嫌味を言って、稀に甘い催促をすれば良い。

ぜひ否定してください、私を拒絶してください。何も聞かないあなたが悪いのです。あなたが何も聞かないから、私にはこんな乏しいものを話すしかないのです。

帰宅していつものように布団に潜って。電話が鳴った。

私は覚えられなかった。その人が先生ではないということ以外覚えられなかったけれど、きっと同じ温度で今度こそ否定してくれるだろうと期待した。真っ向から拒絶してくれる。

答えはシンプルだった。僕はあなたとの関係を切るかどうかを選べる立場ではない。そう言った。

切らないと断言しなかった。辛かったねとも言わなかった。その電話は、同情が落ち込む謙遜、自己卑下のそれで。私は拍子抜けした。

同情するならすれば良い、否定するなら書けば良い。手放すなら携帯を。その沈黙の口を早く閉じてくれと。

選べる立場ではないと言った。先生と同じ温度で。

私を否定しなかった。またも拒絶しなかった。私は拒否を求めていた。

私は先生の代用になるかもしれない温度に見放された。

一縷の望みだった。もしかしたら何かが変わると。運命のようなものがあると思った。

私が先生を手放すことに見合う納得を得られるかもしれない望みは絶えてしまった。

患者を選べる立場ではない先生がそうであったように。同じ言葉を同じく言った。

野放しにされて途方に暮れる。

善人のような笑顔で私を傷つけるであろうことを拒んだ。

その善意は、私にとってなんの役にも立たないものだ。

今までの人と違った優しい男性の連絡先を、今までの男性達と同じように消した。

私は非難されたかった。