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先生。今日は寒いですね。

年が知らぬ間に明けてしまって。先生が居ない世界で起床して、今日で4年と29日目です。

先生。死はもとよりわたしの寸前にあって。しかしいつも猶予されています。

その猶予の中に先生はいない。

ねえ。

ねえ、この間会ったDから始まってSで終わる人はどうだったの?あの肌が黒い黒人。会って話したんでしょう?どんな人だった?たしか数回会ったんだったでしょ?もうあなたのことが心配で、だって最後にあなたに彼氏ができてから2年経ってるんだもの。付き合って半年足らずで別れて、その理由が〝彼からの束縛〟だったらしいじゃない。それくらい我慢すればいいのに、愛されてるってことなのに、すぐに手放して。今度はどうなの?

そう。

そう、Dから始まってSで終わる人には3回会った、3回目のデートの別れ際に、私のことを好きだと言っていた。私は聞こえないフリをして笑って流した、私はまだ、彼のことをよく知らないから。たとえば、箸の持ち方とか、信号が青になる前に歩き出す人なのかとか。ゆで卵の割り方とか、なにも、一切なにもまだわからないから。

あぁ。

あぁ、呆れた。あなたそんなこと気にしているの?ゆで卵の割り方なんて知らなくてもいいじゃない。どう割ろうが何もあなたを脅かさないでしょう。好きだと言われたなら、好きでなくても付き合えばいいのに、付き合えば好きになるかもしれない。大抵そういうものよ。そんなことも知らないなんて、あぁ、呆れた。

呆れた。という言葉で、私の中心はどこか安堵した。

正体不明の空気が、私の後頭部で肥大して顔面を圧迫する。

私にとってそれが安堵なのだと気づいた。咳き込めば湿った痙攣をしている目玉が破裂するだろう。その危機感は私を追い込むにはちょうど良く、手軽だった。

わたしはどうしてここに居るのか。先生のいない見知らぬ世界に、なぜ正気な顔をして座っているのか。わたしはどうして、いつまでも先生を媒介にして生きているのか。

先生のいない世界を生きることはいつのまにかあまりに複雑になっているのに、それらの細部の記憶はもっぱら不在になってゆく。

悲劇はもうすでに終わっている。私は先生と私という悲劇を終わらせまいと引きずり歩く、先生という来歴を舞台の上に押し上げる。

それはもう動かないのに、私は観客席からじっと見る。ときたま舞台に上がっては角度を変える。どっと泣く、異常な興奮をして、飽きもせず。

私が先生を語れば、私の愛は残る、しかしそれは、人から見たら残飯であろう。

今日も動かない残飯を漁る。何度も咀嚼しては吐き出し、綺麗なコップに入れ、また飲む。

これは喜劇だ。