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誤解が。

誤解が根を張って私の周りを縁取る。 

転移して誇張する誤解、退屈すぎて死んでしまうような部屋で起きるのはいつからだろう。たぶん、ずっと昔から。

富士山は見えなかった。

新幹線はいつも通りに走っていたけれど、私の身体はどこかへ置いてきてしまって。

2時間。

腹回りに特大のブルストを巻いたような男が日本語ではない言葉を話すのを聞く。私には意味不明な表現をする。苦痛を感じる。

足にあっていないヒールで足先がペシャンコになりながら歩くみたいな苦痛。

迷ってはいけない。少しの猶予も残されていない。

足は潰れている。ヒールを脱いだらきっと血まみれで、足の指の骨は無惨に散らばっているだろう。皮はめくれて干上がって、弾丸は砕けて肺にのめりこんで、息が。

過去は複雑すぎて忘れてしまった。

欲しいなら盗めばいい、憎いなら殺せばいい。こんな簡単な動機を忘れてしまっていた、確かにあった、あの確証。

他人など蹴落として、自分だけ這い上がって、阻む手は切り落として、投げられた脚は燃やして。そうやって生きるのが人間らしい生き方だ。自然な息の仕方だと。

狂気じみた謙遜と、道徳から、人はなにも学ばない。

相手の脇腹を刺し気づくことのほうが価値があると。

自分は死ぬに値する人間だと気づくことこそ一生を費やす幸運だと。

だから。何度でも苦渋を、どんな人間よりも卑しく浅ましい人間になろうと、肉体も信じず、天国も信じず、祈りもせず、アブラハムの犠牲に唾を吐き、神が居れば殺して

 

息を吸って死んでやろう。

 

 

:.

部屋に溢れる時間にへばりつく。

先生、夢を見たんです。背骨から腰にかけて流れるものがあって、それが。割れ、砕けて、腐葉土の養分になる。その泥水をすする人が笑う。先生、わたし夢を見たんです。

夢は、祈りからも追放された私を笑う。

ねえ、今の人はどう?まだあんた、先生とかたわごとを抜かしてるんじゃないでしょうね、そんなこともうやめて、幸せになったらどうなの?もう何もならないじゃない。だめ、やめて。幼児みたいに何度も同じ言葉を言わないでよ。その偏屈なこだわりはあんたに何一つ与えてないのに。ねえやっぱりこのパスタにしなきゃよかった。クリームがねちょねちょしてて、デンプンと絡まってしまって、まるで牛脂みたい。ここはダメね、もう一生来ない。次はあそこ行きましょうよ。岩倉のアピタの裏。食べ放題があるところ、なんだったっけ、キャナリー...

ロウ。キャナリーロウ。

そうそう、ロウ。評判もいいし、昔からあるから絶対美味しいに決まってる。クリームだってこんな牛脂みたいなのじゃなくて、サラサラして白いスープみたいなのだといいわ、今日はとんだ災難、こんなパスタ。不満をあげたらキリがない。ああ、そんなことより今の人の話聞かせてよ。なんだっけ、出版関連?よくわからないけど学歴もいいみたいだし今までの男たちよりよっぽど良い。あんたは本当変な男しか捕まえないから呆れてた。前の彼だって酷かった、あの時のあんた見てられなかった。それにあの時だって

先生。夢を見たんです。私が私を再構築する様を。その大役を任せる人が笑う、夢を見たんです。捏ねたパンと、捏ねた泥を区別する私がいる夢を。

鳥やヤマアラシや窮鼠に小指の爪のかけらまで食べられてしまう物語を書く自分を想像する。

私のパスタは真っ赤なトマト味で、散らばったチーズはガムみたい。

目の前のクリームパスタは私によく似合いそう、あのパスタの一本一本でニットでも編んで寝る前に着たら布団に潜るの。

真っ白な夢でした。

全ては白紙のまま。白いクリームで文字を書く、白紙は重みで軋んで、いつかどろりと破れる。地面に落ちた白、白、白白を大口を開けて手と顔を使って食べてやろう。先生の白衣を足元から食べて跡形もなくなる、最後の一本まで。

甘くて苦くてしょっぱい。泣いて、ほどいて、結んだら

私に賛辞を

:

花が、花が咲いていた。そんなところに咲かなくてもよかった花が咲いていた。

何を思ったか、私はその事柄を踏まずに眺めた。

飛びかたさえ忘れてしまうよ、と。誰かが言っていた。私は先生が好きだった。先生が、好きだった。

そうか、花には種子ができるらしい。きっとこの花はしばらくして様子を変え、飛ぶだろう。

飛びかたなんて、知らなくても良かった。

.

どうやら味気ない。

明日を歩くはずの下半身は、捻れ、外れ、遠くへ飛んで。人は上半身だけで、しばらく生きられるらしい。

しばらく生きられるのなら、こぼれる小腸と、無くなった下半身なんて見ないで、死に歩調を合わせながら生きてやろう。

気を失うほどの痛みは、感じない。そうなるように、わたしが仕向けた。

銃口を感じないなんて言わない。ナイフの先で土でも掘って。ちいさな銃弾でも植えてやって、私の隣に倒れる人がいれば、刃先を喉に添えてやろう。

どれも甘い。

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先生、いかがお過ごしですか。

今日で先生がいなくなって4年と1ヶ月と3日です。

私が決別する人達が増えてゆく。私は常に降参している。

突き放して頭を強く打つ。しばらく驚く。

精神が白ける。言葉が音だけになって、なにをしても手応えがない。

体の上下が絡まって、ねじれるように苦しい。口を楕円に開いて、根拠のない過去を垂れ流す、私は嘘にまみれてる。

全ての事物が静まりかえって、耳に障る無音に顔をしかめて眠る。

てきとうに開いた本の文章を追ってみる、3行読んではまた初めから、3行、また初めから。

凡庸

生きているのか死んでいるのかはっきりしない木の根を蹴る。応答がないことに安堵する。まるで祈りだ。

私はいくら待っただろう先生を。何度待っただろう。鳴るはずのない板を妄想と共に、何日待っただろう。知っていると解りながら、知らぬと願う。

私は1人でも生きていける。そう言って、もう居ない先生に依存する。もう居ない人に手を伸ばして伸ばした先から折れる。

何人も、何度も。

誰かが履き潰したパンプスを横目に見て、ああ、あれは私のものだと思う。踵が禿げて、先が潰れたパンプス、知っている。あれは私だ。新品の少女が気づいたら娼婦になっていた。それは私だ。

時間の流れに無抵抗に身体を晒す。どこから来たのかもわからない埃がこびりつく、いつからこんなに醜くなってしまったのか。こんなに擦り切れ、剥がれ落ち、どうしようもない傷がつき、ほころび、取り返しのつかない外れ方をしたのか。

それでもなお、なぜ人生を放棄しないのか。それに理由をつける。わたしは捕虜だから、人生の捕虜だから、人生を猶予された囚人だから。だから私は私の意思で死ぬことを許されない。いつその時が来るのかわからないまま、どこにさかいめがあるか知らないまま、私は私を去りつつ一体化する。

お願いだから。もう忘れてください。私のことなど忘れてください。脳裏にもよぎらせないで、でないと、惨めで死んでしまうから。

私は生きるから、それでも生きるから。だからもう許してください。もう充分でしょう、私で遊ぶのはもう満足したでしょう神様。

抵抗できぬ人間に試練を課す遊びをいつまで続けますか。

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先生、今なにをしていますか。今日は平日だから今ごろ診察室にいるのでしょうか。お昼はなにを食べましたか。明日はなにを食べますか。先生は今、生きていますか。

今日で先生が私の前から居なくなって、4年と1ヶ月と1日です。

きのうは、同僚に紹介された男性と、水族館へ行きました。

何度も見たことのある魚を目で追って、正気ではなさそうな尾びれの動きに怯えては、息継ぎのように別の水槽へ目線を逸らす。

私は慎重に振る舞う。できるだけ私の内部を出さないように。くるくる笑って、ことばの端を拾って、真っ当なことを言う。

過去の話ははぐらかす。そんなことより。ねえ、あれを見て。面白い魚。私アイスが食べたい。こんなに寒いのに熱ってしまった。

ある程度の謝罪と、リアクションを大きくした感謝。ありがとう、嬉しい。自然な範疇で繰り返す。壊れた玩具ではなく血が通ったオウムのように。

なにを考えているかわかりやすい女になる。私の内部を探ろうとする彼の話は速やかに曖昧化させる。

質問ができないほどの回答を口角にばら撒いて、相手の口を捻る。

私の全ては先生に話してしまった。私の無様な泣き顔は全て先生に捧げてしまった。自身の破滅。

もうなにもかも終わってしまったんだ。永遠のおしまい。最後のページまで読んだ、続編のない物語。

私の物語は終わった。作者が匙を投げた終わりかた、主要人物を消して、丸め込んだ自暴自棄。それでも人生が続いている、これはどのようなことだろう。

時間を消費した男が私をドライブへ誘う。今すぐに帰りたくなる、どこか、どこでもいい。帰る。その帰る場所がどこかにある気がする。自室の荒れたベッドの上でもなければ、母親の腕でもない。あの頃、母の胎内、その前。

惨めだとは思わない、野良犬の吐瀉物のように。ありふれた小説の1行にすら満たない人生を。

 

 

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先生。今日は寒いですね。

年が知らぬ間に明けてしまって。先生が居ない世界で起床して、今日で4年と29日目です。

先生。死はもとよりわたしの寸前にあって。しかしいつも猶予されています。

その猶予の中に先生はいない。

ねえ。

ねえ、この間会ったDから始まってSで終わる人はどうだったの?あの肌が黒い黒人。会って話したんでしょう?どんな人だった?たしか数回会ったんだったでしょ?もうあなたのことが心配で、だって最後にあなたに彼氏ができてから2年経ってるんだもの。付き合って半年足らずで別れて、その理由が〝彼からの束縛〟だったらしいじゃない。それくらい我慢すればいいのに、愛されてるってことなのに、すぐに手放して。今度はどうなの?

そう。

そう、Dから始まってSで終わる人には3回会った、3回目のデートの別れ際に、私のことを好きだと言っていた。私は聞こえないフリをして笑って流した、私はまだ、彼のことをよく知らないから。たとえば、箸の持ち方とか、信号が青になる前に歩き出す人なのかとか。ゆで卵の割り方とか、なにも、一切なにもまだわからないから。

あぁ。

あぁ、呆れた。あなたそんなこと気にしているの?ゆで卵の割り方なんて知らなくてもいいじゃない。どう割ろうが何もあなたを脅かさないでしょう。好きだと言われたなら、好きでなくても付き合えばいいのに、付き合えば好きになるかもしれない。大抵そういうものよ。そんなことも知らないなんて、あぁ、呆れた。

呆れた。という言葉で、私の中心はどこか安堵した。

正体不明の空気が、私の後頭部で肥大して顔面を圧迫する。

私にとってそれが安堵なのだと気づいた。咳き込めば湿った痙攣をしている目玉が破裂するだろう。その危機感は私を追い込むにはちょうど良く、手軽だった。

わたしはどうしてここに居るのか。先生のいない見知らぬ世界に、なぜ正気な顔をして座っているのか。わたしはどうして、いつまでも先生を媒介にして生きているのか。

先生のいない世界を生きることはいつのまにかあまりに複雑になっているのに、それらの細部の記憶はもっぱら不在になってゆく。

悲劇はもうすでに終わっている。私は先生と私という悲劇を終わらせまいと引きずり歩く、先生という来歴を舞台の上に押し上げる。

それはもう動かないのに、私は観客席からじっと見る。ときたま舞台に上がっては角度を変える。どっと泣く、異常な興奮をして、飽きもせず。

私が先生を語れば、私の愛は残る、しかしそれは、人から見たら残飯であろう。

今日も動かない残飯を漁る。何度も咀嚼しては吐き出し、綺麗なコップに入れ、また飲む。

これは喜劇だ。