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先生、昨日は元仕事先の人達と、1年ぶりにご飯を食べに行きました。

同僚だったバツイチの女性はもう結婚を約束している人がいて。スマートフォンの画面やカバーの隙間に幸せを滑り込ませて、牽制、もしくは誇示、もしくは支え、寂しがりの彼女の行動は秘密基地を見つけた少女のそれで、少しばかり、羨ましいと思います。

同僚たちの話を聞けば、大多数はどうやら、失恋をしても数ヶ月で立ち直るようです。

あなたは?

そう聞かれました。恋人はいるの?好きな人は?失恋はしたことあるの?今まで何人と付き合った?どうして過去の人達と別れたの?なぜあなたみたいな人に恋人がいないの?不思議でならないわ。美人なのに。顔が整っていて、良い服も着て。大人っぽくて、ミステリアスで。

わからない。と答えました。

私に恋人がいないのがなぜかわからない。

それより。

と会話を流します。彼氏はいい人?少し束縛されている。それは苦しいものなの?そこまで苦しくはないわ。気が合うのね。そう、幸せなの。運命だと思ってる。それはよかった。おめでとう。結婚式は呼んでね。ご祝儀は弾むから。私に幸せをわけてね。

そんなことを話した。

彼女が私に耳打ちをする。こんちゃん、あなたのことがずっと気になっていたんだって。だからこの場をセッティングしたの。

そうか、と思った。この人はきっと優しいのだ、お節介で、大きなお世話で、スキャンダルが好きな普通の女の子のまま大人になって、だから幸せの権利を信じているのだ。

私は話さなかった。私を気になっていたという人と。もともとシャイで無口な人だったし年下で、年上の女性が良いものに見える年齢であり、なにより、先生ではなかったから。

キミは過去に執着せず。早く羽ばたいた方がいい。このままだと飛び方さえ忘れてしまうよ。

誰かにそう言われたことがある。たしか、忘れられない人がいると言ったとき。軽い立ち飲み屋で、知らない人にそう言われた。過去に執着するのはよくないと。

私は言いたかった。私は執着に執着しているんです。現在に、未来に執着しているんです。

なぜならとっくに。とうの昔に。はるか昔に。私の先生は、在るものの不在ではなくなってしまって、無いものの存在になったのです。

私は言えなかった。正論に歯向かえなかった、歯が立たなかった。歯が無かった。もうそれはボロボロと崩れてしまって、沈黙を訴えるしか、手が無かった。

先生に出会うまで、人生の発作が起こる前まで。私は私の人生を感じ良くする義務があると思っていた。誰に言われたわけでもないけれど、漠然とそう思っていた。

充実し、労い、労われ、励み、輝き、喜びに酔いしれ、適度な挫折、深い傷を他人で癒やし、笑って笑われ、友情、親愛、固い握手と、愛の告白。

そのような感じのものを、私の人生でも繰り広げられなければいけないと、でなければ、幸せではないと。人は幸せに生きなければいけないと。そう思っていた。

幸福こそが善だと、幸福の中に懺悔も苦しみもないと。そんなことを思っていた、盲信していた。祈っていた。

先生に出会って、盲目になって、その祈りに無い目を凝らすと、もうすでに、もはや最初から、祈りそのものが折れてしまっていることに気づいた。

ねえ、あなたこんちゃんと付き合ってみたら?遊びでいいじゃない?あなた子供欲しくないんでしょう?あなたの恋愛はそういうものでしょう?年下が嫌だって、私の彼氏も年下よ。年下はいいよ、可愛くて、なんでも許せるの。

そうなんだ。

私は言った

それはとても良い考えかもしれない。得策かもしれない。私は確かに身籠るつもりもないし、腹に抱えることも、肩にのしかかるものもないし、私の恋愛はそういうものかもしれない。あなたが許せるものなら、私にも許せるかもしれない。あなたがそれで幸せになったなら、きっと私も幸せになるに違いない。ありがとう、考えてみる。

彼女は満足そうにして、幸福で満ちた自分は満ちてない人を満たさねばならないという使命感の娯楽を私にパスする。

多分そのパスは私の顔面に当たって、だから痛くて、だから血の味がして、だから目の前が見えなくなる。涙が歪んで、脳震盪みたいなものが常に付き纏う。

そしていつか先生の幻覚が見えて、先生の幻聴が聴こえて、それを現実だと思い込んで。

再会を喜んで、抱きしめられたりして、何年も先生を想っていたことを褒められて。私を愛していると言われて。私はそれに泣いて喜んで。先生、と呼んだら。なんですかと聞き返されるという幸せのまま死ぬことができる未来に執着する。

だから私は苦痛の中で生きたい。

人生最後のホスピスモルヒネで、きっとまた先生に会えるから。