先生。今日で先生が私の世界から不在になって、3年4ヶ月と23日が経ちました。
先生、さっき、お酒を飲みました。ビールを2缶。
最近は、色々な男の人達に会いました。
彼らは私に言葉をくれます、容姿を褒め、変わっていると口先で言い、魅力的だと薄目で溢す。
私は全身が固まって、鳥肌が出る。
安価な食事を咀嚼するように吐き出す彼らの言葉に。
ありがとう。そう言います、それらの芸のない褒め言葉を、否定も肯定もせず。なんの値もつかない即席の感謝をします。
その繰り返しで、目が回って、その人が誰なのか、わからなくなる。
目の前の人が、熱心に私の話を聞き出そうとしているその人が、一体何者なのか、なぜ私はこの人と同じテーブルに座り、食事をしているのか、わからなくなる。
その人がなぜ私に話しかけてくるのか、理解ができなくなる。目が見えなくなる、景色が遠くなる。周りの喧騒も聞こえなくなって、死んでしまったのかしら、ふと、そう思う。
その頃には男性は怪訝な顔で、大丈夫ですか。と私に問う。
私は言いたくなる、大丈夫ではないんです。今すぐに私から逃げてください。はやく逃げてください。
気づくと喧騒が戻っている、窓の外に目をやる。大野先生が見えた気がする、人影の中に、そのような小さな発作を繰り返す。
それを何人も、何回も、何度も。
男漁りをする、意味もわからずに、目的もなく、なぜそんなことをしているのか、不可解が腹の底に溜まる。
私は理由を探している。この理屈を納得させるだけの大きな出来事を、言葉を持たないままに待つ。
だから私は喉に小骨が刺さっていることを無視して話す。
私の好きなこと、私の好きな音楽、私の好きな料理、どういう人がタイプか、あなたをどう思ってるか。
私が大野先生を好きだということ以外の全てを軽々と話して聞かせる。
パクパクと動く口で合いの手を入れる、笑うべき場所でどっと笑う。
最後に言う。あなたは?彼らは答える、嬉々として答える。私との共通点を生ぬるい手で探り、自慢げに目の前に吊るす。
それらは私を特別幸せにしない。
帰り道、また会おうと言われる。軽いボディタッチをする、楽しかったという。
大量生産の言葉を、2人で言い合う、言い張る、言い聞かせる。それを繰り返せばいつかきっと幸せになる、そう信じて疑わない。
帰りの電車で、どっと疲れる。あの言葉の中に私に向けられたものはない。インスタントな恋愛ごっこに疲れる。
そこで、小骨に気づく、もう、そこは腫れて炎症している。免疫力はもうない。だから安易に感染する。
ベッドにうずくまる。布団の中に潜って横たわりながら身体を丸める。空気すら遮断して、窒息しにはしないかと試みる。
気づくと泣いている。大野先生、先生、と言いながら、泣く。
その頃には、会った男の人たちの名前も顔も話した言葉も忘れて、iPhoneの通知を消す。
その人たちの世界から死ぬ、私は何度も自死する。性懲りも無く。
生きるしかあるまい、そう思う、大野先生の、先生の居ない世界を、生きるしかない。
それは前向きな自殺だ。
私はそれだけを、わかっている。