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先生。お元気ですか。先生が私の人生から不在になって3年11ヶ月と14日です。私は中庭で、ジュエリーのデザイン画を描いています。

昔を思い出して、今に耽る。明日を考えて、過去を思い出す。右から入った言葉を右指から出して。左手はそのまま。なんの役にも立たなかった本を潰す。

先生は、私をどう思っていたのだろう。

厄介な患者?ふてぶてしい女の子。よく笑う子供。そして嘘つき。

または、読書が好きな文学少女哲学書であやとりをする無邪気な実存。精神薬を拒否する精神疾患者。幻聴と喋り、死に至らぬ生者。突然元気になる女。飽きることも知らず、扇風機についた埃みたいに積もっていく躁エピソード。

だけれどきっと先生の中では、19歳の女。

それだけ。

永遠にスタンバイさせられたモラトリアム。新たなスタートは朽ちていく。

生きるしかあるまい。そう思う。何もかもが台無しな、そんなスタートを切るしかあるまい。そう思う。

先生を永遠に好きだと言い張れる形のない場所に安住する。私を私自身で看護する術を身につけて。反吐を着飾る。

身綺麗にする、慎重に口紅を塗る。どんな人か見当もつかない人から交際を申し込まれる。

ありがとう。そう言う。あなたから言われると嬉しい、いつから私のことが好きだったの?

毎度同じ質問をする。

身に覚えのない話をされる。

身に覚えのない私を好きになる身に覚えのない人。

君は優しくて、いつも笑っていて、ユニークで、変わっていて。ああ、変わっていると言うのはいい意味でだから、気を悪くしないで欲しい。姿勢が良くて、美人で、精神的にも強くて、素敵だ。最初から気が合ったんだ、僕達は話題も合うよね。例えば食べ物だとか、音楽だとか。自然が好きだとか。目標を持っていることだとか。僕達はきっと合う、君といると気が休まるし、無言でも苦しくない。だから付き合って欲しい。君が好きだ。

目がまわる、重い頭を支える右腕が痺れてくる。冷水を浴びせられた気分になる。私はそんな人を知らない。

私は生きる気力などとっくの昔に失っている。惰性で生きているわけではないけど。投げやりで生きているようなもので、大胆に振る舞って、湯水のように外見にお金を使って、言って欲しいだろう言葉に決して気づかれない軽蔑を添えて言う。

千人の女が居れば千人の女の中に容易く紛れる。千人の女が同じことを言ったら、私も言う。

話が死ぬほど退屈な時にこそ私は笑うし、私はいつでもそれらを放棄することができる。

無言の時間ほど苦痛なものはない、私が話さなくなった時は全面降伏が直前にまできている危機的状況だ。

それに私はワーグナーなど嫌いである。ジョン・ゲージの4分33秒でうめき泣いて、内側を溶かす遊戯に明け暮れる。クルトワイルの三文オペラなどコメディ以外の何者でもない。

少し待って欲しいの。少しだけ。その素敵なお話に対して、私はまだ準備が整っていないの。例えば心とか。あとはそう。タイミングだとか。しっかり考えてからお返事をするわ。そう。そういえば、あなたが美味しいと言っていた新作のドーナッツ私も食べてみたの。コーヒーに凄く合うし、とても美味しかった。教えてくれてありがとう。私たちは味覚も合うのね。あなたが言った通り。あなたが食べたい時に、私も食べたい。じゃあまた。今日はとても楽しかった。

虚言と嘘の間を針で縫う。私はそうやって過ごしてきた。そうやって過ぎてきた。

私は常に空腹と拒食と隣り合わせである。ドーナッツは甘すぎて。コーヒーは苦すぎた。どうやらこの喫茶店の音楽は激しすぎる。

頭痛がする。殴られたような鈍痛がする。空気が吸えなくなる。発狂に値しない脳震盪。先生を探す。

身に覚えのない人は少し私を引き留める。

急いでいるの。

私はそれだけを言う。それだけできっと伝わる。きっと私の顔は蒼白であるに違いない。この人の顔も蒼白だ。

伝票を取って、2人分の会計を払う。後から追ってきたその人に言う。お礼の気持ちだから。急いでいるの。ごめんなさい。あなたといたいけど、本当に残念。とても残念なことだけど。ごめんなさい。

たしか。

たしか、小学2年生の時。私は生きること全てに耐えられなくなった。

時間、季節。身体の成長、出口のまだ見えない困窮。例えばそんなものに耐えられなくなった。

そして2階の教室から花壇を見下ろして、飛び降りようとして、先生に首元を引っ張られ、教室の床に転がった。

その日の帰りの会。私は女の担任に皆の前に立つよう言われた。

日々イタズラをしてくる同級生のにやけ顔の前で。私は全員に謝った。命を粗末にしようとしてごめんなさい。そう言えと言われた。

たしか、たしか。私はあの時だ。私は謝罪を覚えた。謝ることを知った。ごめんなさい。その使い方の用途を身につけた。

それを今も大切に取ってある。宝箱に入れて。理不尽も不条理も正しさも間違いも道徳も。それらが私にとって、なんの役にも立たなかったことも。

悲しみも怒りもなく、私は目の前でコソコソと笑い合う道楽に励む同級生達32人と、満足そうな担任を、ただ見ていた。

家に帰って、親にぶたれた。私は同じように謝った。

私はあの時と同じ謝罪をこれまでも、これからも言う。

受け取り手のいない、許す人間が存在しない謝罪は私の原点だ。

あの素晴らしい出来事は、私の美学そのものになった。

だから先生。

大野先生、だから。私は先生が好きです。

もうすぐ先生が私の人生から居なくなって4年です。

先生、たしか5年前のクリスマス、病棟で開かれたクリスマス会で、オラフの格好をしてましたね。私は覚えています。

照れているニコニコと笑っていた先生を、輪に入ることなく、遠くから眺めて。私はきっとその瞬間、世界で1番幸せで。世界で1番特別な人間になれたのです。

だから先生。

先生を好きになってごめんなさい。