先生、どうして私は、先生の患者になってしまったんでしょう。
患者ではなく、別の立場で先生の世界にいられたら。
電車に乗る時、ぼうっと前を見ていると、正面の座席に、そこに先生が座っている気がします。
先生は電車に乗る時、本を読むのでしょうかスマホを弄るのでしょうか。
もし患者でない私が、その隣に座っていたら。
いいえ、私ではない人が先生の隣に座って親しくしていたら。
気味が悪いパラレルワールド。いつまでも最後に会った時のままの姿の先生。
もしも、もしもで味付けをして、どうして、と捨てる。それを何度も。何度も何度も。
死ぬまで繰り返す。
もし、生まれ変われるのなら、何にでもなれるなら、先生の結婚指輪になりたい。
幸せな先生を見ていたい。幸せの矛先が私でなくとも良い。先生を幸せにできるのは、私ではない。だから先生が死ぬ時、側で見ていたい。
先生と私ではない恋人の仲を取り持って、お膳立てして、私ではない人に向ける愛を側で、私ではない人に向けるその笑顔を見ていたい。
そんなことを考えて1人で電車に揺られる。どうして、窓に映る自分はあまりにも酷く、窒息しそうになる。全ての言葉が、適切でなくなって、指の間から真っ逆さまに落ちていく。
自分の中心を失う、単純な愛はとうの昔に朽ちた。
事実と価値が相対性を失う。一切の指標も錆びていく。脆くなったそれを握った手は鉄の味がする。それは血の味に似ている。
いつから出血したのだろう。私の人生は、いかにして瀕死になったんだろう。
気づいた頃には遅かった。どうしようもなかった。存在する先生と、私の中の非存在な先生。年数を重ねるごとに幅は広がる。困難。これは態度の問題だ。
愛している人に愛される可能性が無いにもかかわらず、愛を語る矛盾。
ただ言えること、この中に、事実はない。