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先生、もうすぐ10月10日です。

先生とはじめて電話で話した。10月10日です。

私が先生のことを好きだと気づく前の。もしくは気づいて知らぬ存ぜぬを突き通していたあの日です。

私はどうしようもなく、先生が好きでした。

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先生、昨日は元仕事先の人達と、1年ぶりにご飯を食べに行きました。

同僚だったバツイチの女性はもう結婚を約束している人がいて。スマートフォンの画面やカバーの隙間に幸せを滑り込ませて、牽制、もしくは誇示、もしくは支え、寂しがりの彼女の行動は秘密基地を見つけた少女のそれで、少しばかり、羨ましいと思います。

同僚たちの話を聞けば、大多数はどうやら、失恋をしても数ヶ月で立ち直るようです。

あなたは?

そう聞かれました。恋人はいるの?好きな人は?失恋はしたことあるの?今まで何人と付き合った?どうして過去の人達と別れたの?なぜあなたみたいな人に恋人がいないの?不思議でならないわ。美人なのに。顔が整っていて、良い服も着て。大人っぽくて、ミステリアスで。

わからない。と答えました。

私に恋人がいないのがなぜかわからない。

それより。

と会話を流します。彼氏はいい人?少し束縛されている。それは苦しいものなの?そこまで苦しくはないわ。気が合うのね。そう、幸せなの。運命だと思ってる。それはよかった。おめでとう。結婚式は呼んでね。ご祝儀は弾むから。私に幸せをわけてね。

そんなことを話した。

彼女が私に耳打ちをする。こんちゃん、あなたのことがずっと気になっていたんだって。だからこの場をセッティングしたの。

そうか、と思った。この人はきっと優しいのだ、お節介で、大きなお世話で、スキャンダルが好きな普通の女の子のまま大人になって、だから幸せの権利を信じているのだ。

私は話さなかった。私を気になっていたという人と。もともとシャイで無口な人だったし年下で、年上の女性が良いものに見える年齢であり、なにより、先生ではなかったから。

キミは過去に執着せず。早く羽ばたいた方がいい。このままだと飛び方さえ忘れてしまうよ。

誰かにそう言われたことがある。たしか、忘れられない人がいると言ったとき。軽い立ち飲み屋で、知らない人にそう言われた。過去に執着するのはよくないと。

私は言いたかった。私は執着に執着しているんです。現在に、未来に執着しているんです。

なぜならとっくに。とうの昔に。はるか昔に。私の先生は、在るものの不在ではなくなってしまって、無いものの存在になったのです。

私は言えなかった。正論に歯向かえなかった、歯が立たなかった。歯が無かった。もうそれはボロボロと崩れてしまって、沈黙を訴えるしか、手が無かった。

先生に出会うまで、人生の発作が起こる前まで。私は私の人生を感じ良くする義務があると思っていた。誰に言われたわけでもないけれど、漠然とそう思っていた。

充実し、労い、労われ、励み、輝き、喜びに酔いしれ、適度な挫折、深い傷を他人で癒やし、笑って笑われ、友情、親愛、固い握手と、愛の告白。

そのような感じのものを、私の人生でも繰り広げられなければいけないと、でなければ、幸せではないと。人は幸せに生きなければいけないと。そう思っていた。

幸福こそが善だと、幸福の中に懺悔も苦しみもないと。そんなことを思っていた、盲信していた。祈っていた。

先生に出会って、盲目になって、その祈りに無い目を凝らすと、もうすでに、もはや最初から、祈りそのものが折れてしまっていることに気づいた。

ねえ、あなたこんちゃんと付き合ってみたら?遊びでいいじゃない?あなた子供欲しくないんでしょう?あなたの恋愛はそういうものでしょう?年下が嫌だって、私の彼氏も年下よ。年下はいいよ、可愛くて、なんでも許せるの。

そうなんだ。

私は言った

それはとても良い考えかもしれない。得策かもしれない。私は確かに身籠るつもりもないし、腹に抱えることも、肩にのしかかるものもないし、私の恋愛はそういうものかもしれない。あなたが許せるものなら、私にも許せるかもしれない。あなたがそれで幸せになったなら、きっと私も幸せになるに違いない。ありがとう、考えてみる。

彼女は満足そうにして、幸福で満ちた自分は満ちてない人を満たさねばならないという使命感の娯楽を私にパスする。

多分そのパスは私の顔面に当たって、だから痛くて、だから血の味がして、だから目の前が見えなくなる。涙が歪んで、脳震盪みたいなものが常に付き纏う。

そしていつか先生の幻覚が見えて、先生の幻聴が聴こえて、それを現実だと思い込んで。

再会を喜んで、抱きしめられたりして、何年も先生を想っていたことを褒められて。私を愛していると言われて。私はそれに泣いて喜んで。先生、と呼んだら。なんですかと聞き返されるという幸せのまま死ぬことができる未来に執着する。

だから私は苦痛の中で生きたい。

人生最後のホスピスモルヒネで、きっとまた先生に会えるから。

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先生、お元気ですか。どこかの誰かの人生の中で、生きていますか。

私はまた、先生以外の男性と話しました。性懲りも無く。

薄い地毛の色を、黒く染めて、セミロングのふわふわの髪の陰影を捨てた。

ボルドーのリップが良く映えて。私は間違ってるかもしれないやり方で何も知らない男と会う。

先生に愛されるという前提がないまま、私のことを気になっているなどという前提の男と会う。

帰りの駅のホームで、私の腰くらいの背丈の女の子が地べたに座っていた。

目が合う、いち、に、さん。私は数字を数えてみる。私は自分でもよくわからないけど、遥か昔に誰かに教えられた通り、目を背けた。

私もそんな頃があったのよ、私は言いたくなる。その女の子に執拗に説きたくなる。

そんな頃があったの、いいえ。私は今でもあなたみたいに地べたに座れるの、今だって。あなたみたいに悪意もなく人の顔を凝視できるの。

目を背けられたら隣の人へ、それでも背けられたら、そう、あの女の人を見る。アルバイトからの帰りか、アバターの初期設定みたいな服装の女の人。

誰の注目も集めたくないような服装の、若い女。それに悪びれもせず目線を向けられるの。

目があっても執拗に、虫がいたってその上に。

吐き捨てられたガムの上に、私は座れる。

あなただっているでしょう、好きな人、そう、たくみくんとか、幼稚園で女子に人気な、かっこいい男の子。

私はね先生が好きなの。大野先生っていう、たくさんの患者を持った、そこまでかっこよくない男の人。

もう一度振り向いたら女の子はお母さんの手を握って、電車に吸い込まれていった。

そういえば、わたしには握れる手がなかった、私は女の子とは違って、大人になってしまって、握れる手を見つけるために食事をして、笑わなければいけないのだった。私は彼女からあまりにも遠ざかってしまっていた。

駅からバラバラと、家の明かりが見える。

余命いくばくかの蛍みたいに。私はネオンというものを辞書でしか知らないけれど、LEDとどうやら違うらしい、ということしか知らないけれど。

見たことがない私にとってこれをネオンと呼ぶのにふさわしいものだ、と思った。

私は愛を知らないけれど、辞書でしかしらないけれど、どうやら私の抱く先生への気持ちは普通の愛とはどうやら違うらしい、ということしか知らないけれど。

何も知らない私にとってこれを愛だと呼ぶのはふさわしいものだ、と思う。

きっと全部知っているような気になって、何もわからないまま男女は抱きあい、結婚するのだろうと思う。

そういえば、今日食事をした男の人はどんな顔だっただろう、先生以外の顔を私は今後一切覚えられないのかもしれない。

私はいかに記憶の中の先生を束縛しているか、それがどんなに巧妙か、いつか誰かに、延々と話したい。

そして私の愚かさを指摘されて、あなたは人を愛することを知らないのねって、綺麗に笑って、夢中になって眠りたい。

限界まで凛として咲いて、あっという間に枯れたい。

私の欲望は複雑で、私を知ろうとする人はきっと振り回され、疲れて。こんなに僕を疲れさせるキミは間違っているのだと結論付けて、去るだろう。

私はそれに手を叩いてはち切れるほど喜ぼう。

鼻歌を歌ってやろう。裸足で、腐った果実だって飲み込んで。あの小説のあの登場人物のように、異様な興奮と憂鬱に振り回されて生きてやろう。

わたしは突然叫びたいし、泣き出したいし、猛烈に不安になって、使い古された羽毛布団に沈んでしまいたい。

この理屈のわからない症状に、治療することも、共感することもなく。最後に先生と叫んで、叫んだ指の先で死のう。

 

これは殉教だ。

 

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先生、私は最近、ジュエリー制作に没頭しています。無いものを有ることにすることは嬉しい。

それを外に出せば、もしかしたら先生の近くにそれが行くかもしれない。誰かが身につけて、先生の横を通り過ぎてくれるかもしれない。

身勝手な私が先生と出会うより、容易いことのように思うのです。

私はこれからも不純をぶら下げて歩く。

非理性が理性になろうとして悲痛を看護する。

私は結局、飲みたいのだ。不潔さを。

願い過ぎて、祈り過ぎて、散らばったものは拒絶ばかり。それを反復して腐る。

先生をいつまでも、いくど待ってもやってこない世界が今の私の世界であると。

怯え切った目と鼻の先に、先生と関わっていた頃の私から置き土産のうめき声。

涙を垂れ流して、鼻を啜って、食いしばって。たしか。それが私の恋だった。予告もなしに、とんでもない誤解に根を生やして。

いつから勘違いをしていたのだろう。きっと始めから。

いつまでもやってこない世界の置き土産。

今日の私も、明日の私に預ける。

私が最後に死ぬとき、最後に発する言葉が、先生の名前だった時、そこで私は報われる。

私にある希望はそれだけ。

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先生、大野先生。目も鼻も口も、手も背中も、髪質も髪型も、線香の匂いも、革靴で靴擦れした裸足の踵も、先生が本に付箋を付けることも、字があまり綺麗でないところも、私と本の話をしてくれたことも、おすすめの本をピックアップしてくれたことも、パソコンをタイピングするときの癖も、画面を見て私を見ない時の横顔も、診察室を開ける手も、閉めた時にかける鍵の音も、先生の歩く音も、笑った時の癖も、教授回診の時の微妙な顔も、私に本の感想を聞いてくれたことも。いつも真っ黒な服を着て、その上の真っ白なしなびた白衣も、最後にした、指切りげんまんも。その感触も。全部私は覚えています。

私は覚えてる。先生が私の前からいなくなって、ずいぶん経っても、いつまで経っても、どれだけ経っても、私は忘れない。忘れられない。どうして、どうしてなの。先生の世界に、もう私はいないのに、私の世界に先生はもういないのに、会えもしないのに、どこにいるのかさえ知らないのに。どうしてよ。なんでこんなに覚えてるの。なんで忘れないの。なんで、思い出すたびに、泣いて、私はいつも強がって、綺麗な言葉で纏めようとして、ほんとうはこんなぐちゃぐちゃで、支離滅裂で、言葉ですら私を救えないのに、かっこつけて、気張って、前に進もうとしない自分を、蹴って蹴って、わかったふりして、小利口なふりして、いろんな言い回しで自分を綺麗にみせて、こんな誰も見ない場所ですら、わたしは言葉で遊んで、飾って、こんな。なにも綺麗じゃない、なにも美しくない、こんなバカみたいな私は、なにをしたってもうどうしようもないよ、悟った顔して、頭のいいふりして、私はどうして、先生が好きだった、大野先生が大好きだった。ただそれだけの純粋な出発から、こうもこんがらがって、大好きな先生が居なくなった今、私にあるのは、先生がまだ大好きなこんがらがった私だけで。なにが私を救えるのかわかんなくなっちゃって。バカみたい。私はバカだから、好きを好きじゃないにする方法も、好きを過去形にする方法もわかんなくて、私の想いはこの世界に不要なことだけが、それだけがバカな私にもわかることで。だったらなんで、まだ泣くの、どうして泣くの。3年半以上も経った今、なんでこんなに涙が出るの。わたしってほんとバカ。大野先生、私はまだ先生のことが好きです。先生のことが好きなんです。バカな私は、こんなに間違っちゃった。許してよ、私。

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先生の夢を見た。久しぶりに、先生を見た。

幸せだった。先生に拒絶される夢だった。

先生が私を私と気づかなくて、過去の私の哀れさをあざ笑う夢だった。

私は言わなかった、それは私です。今あなたが笑っているのはその悲惨な私です。私は言わなかった。先生が笑っていることが幸せだった。

久しぶりに見る先生の笑顔は、私を嫌悪する笑顔だったけれど、私は幸せだった。また、先生の顔が見れた。

起きたら、うなされて、泣いていた、頬にこびりついたものを私は嬉し涙だと言い張れる。

生きているか死んでいるかもわからない先生に、私は呆然とする。

あっけなく疑いを手放す、きっと先生は生きている、私の世界に先生がいなくとも、私ではない人の世界にきっと。きっと。

望まれない人間、先生の人生に望まれない人間、わたしはそれを宝物のように後世大切にする。

笑ってください、先生。

先生には笑顔が似合います。

私は先生の笑顔が、大好きです。

 

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先生、今日で先生が私の前から居なくなって、3年7ヶ月と10日です。

最近は何もせず、食べず、誰とも会わず、生きています。

全てを拒否した姿勢は幾分か私を柔らかくするようです。

大野、という文字を街中で見るたびに発作のようにおこる嗚咽は、3年7ヶ月経った今では、飼い慣らしてしまいました。

何の影響も受けません。先生のことを思い出す痛みはいつのまにか鈍痛になり、そのことを触っても薄皮一枚の感覚だけが残る。

私は強くなってしまった。先生のいない世界で、強くなった。

その強さは、麻痺した脚をどれだけ殴っても痛くない。笑ってさえいられる。そんな強さです。

先生は今どこで、何をしているのでしょうか。

私の障がい者手帳の診断書を書いた先生は、私を障がい者1級にした。

先生は最後に障がい者1級を私にくれた。こんな悲惨な皮肉を。私は後世大事に持っておくのでしょう。

先生、今日はなにかを作ってみようと思います。

先生にプレゼントをすると思って、先生へのプレゼントを作ってみようと思います。

人を好きでいられるのは4年が限界だそうです。

先生が私の世界から居なくなってしまった4年目に、なにをしましょうか。

ケーキでも作って、塩辛く食べる。

そんな自暴自棄も、よいかもしれませんね。